私は小学生時代、他人のことばかり考えていました。
どうも、しょくのこです。
今回は「私が小学生の時に感じていた生きづらさ」について話していこうと思います。
小学生1年生の時に感じた「初めての生きづらさ」
私は幼稚園時代から周りに「大人びてる」と言われていていろいろな人にすごく気を遣うようなタイプの子供だったのですが、幼稚園に行くのが嫌と感じたことはあまりありませんでした。
しかし、小学校では
「幼稚園のときと比べてある程度制限された学校生活」
「様々な刺激を発する同年代の子が近くにいる教室の雰囲気」
などでが心地よくいられる感じではなく、1年生で学校に苦手意識を覚えるようになっていきました。
新学期が始まったときはまだ勉強や学校の生活が楽しくてワクワクしていたのですが
それと同時に「子供っぽすぎる」同級生が気になってしまってて…
例えば
授業中に騒いだり、遊んでいたりするような子が私の席の近くにいて
その子に対して
「なぜ真面目に授業を受けないんだろう?」
「周りの人が困っているのになぜ気づかないんだろう?」
と感じていました。
でも、その子にしてみたら「小学1年生のまだまだ遊びたい盛り」での年相応の行動を取っていただけであって、周りの大人もその子の行動を「やれやれ…」と受け入れている感じでした。
ただ、私にとってはそれが不思議で
その部分だけを積極的に意識しすぎて、ある意味「自分だけが大人びて真面目過ぎている」というようなギャップを感じて
「なんかこの環境いづらいな」と思ってました(-_-;)
そこには普段から私が周りの顔色を伺って気を遣いすぎていて「和が乱れている雰囲気」に敏感だったのも影響していると感じています。
特に印象に残っているエピソードがありまして
私が1年生の時にクラスのみんなの前で音読をする発表会があり、それが2人1組のパートナーを組んで行うものだったのですが
その時のパートナーの子がいわゆる「勉強が大嫌いで遊びが大好きな感じの子」で音読の練習に全く付き合ってくれなかってくれなく
私がいくら声をかけても、遊びに夢中で聞く耳を持たず
しかも先生はその様子に気付いてて「もしかしたら注意しにくるかもしれない」と思い、わざと大きな声で「次私が音読する番だから聞いてて」とその子に声をかけてました。
「真面目にやっているように見せかけた」といいますか、その子を庇ったといいますか
和を乱さないように尽力していました(-_-;)
他の場面でも似たような立ち振る舞いをする機会が多く、頭がぐちゃぐちゃになって意味もなく泣きたくなることもありました。
そういう経験を繰り返していくうちに学校や教室の雰囲気がすごく苦手になり学校を休んだりするようになって
本当にひどいときは昼休みに学校を抜け出して1人で遊びに行ったり
登校日の朝、学校には登校せず、そのまま町の図書館に行って1日中、本を読んでいたりすることもあったそうで先生や両親にかなり心配されました。
「あったそうで…」と言ったのは
私、その記憶だけはすごく曖昧であまり覚えていないんですよ。
親から聞かされて知ったのですが、おそらく当時は小学1年生ながらに「和が乱れている雰囲気から逃げ出したい」と感じていて
「自分を疲れさせないため」に無意識に動いていたのかなという気がしてます。
学校が嫌いだったかというとそうでもなく、友達と遊んだりするのは好きだったのですが
学校の中の「教室」をはじめとする
同世代の人が複数いる空間で真面目にやらない人、遊んでいる人
そういう人たちがまとまっていない有象無象な雰囲気
というところはどうしても慣れませんでした。
自分にはどうすることもできないので
「逃げる」もしくは「自分の好奇心だけを満たす行動をしたい」というふうに感じてて
それが学校に行きたくなくなった理由だったと思います。
また、私、人見知りが強いのにも関わらず
「気遣い」という名のもとに積極的に誰かにかかわるように行動していて、自分の矛盾に気づかずストレスをためるようにもなってたんですよ(-_-;)
当時は1年生ながらに「なんか疲れるな」というのはすごく感じてました。
そして、先程話した学校の「有象無象の雰囲気」「自分の矛盾した行動」
それらで強いストレスを抱えるようになったのが影響してか食べ物に逃げるようになっていきました。
当時、1年生なのに毎食ご飯を大きな茶碗で3杯ぐらい食べてて
しかも、いくら食べてもお腹がいっぱいにならないような気がして食欲が止まらず
特に学校から帰ってきた時が一番コントロールが効かなかったです。
おそらく1日学校で過ごして疲れていた分、より欲求が強くなっていたのだと思います。
小学校に慣れてきたタイミングでの転校で再び「生きづらさ」を感じ始める
小学校に上がって半年くらいして、人間関係に慣れてきてからは暴飲暴食は収まっていき、疲れもそこまで感じなくなっていたのですが
厄介なことに私、2年生の時に別の小学校に転校しまして
そこで慣れていた人間関係もリセットされて、新しい学校では1年生のとき以上に
「人見知りだけどそれを隠して積極的に振る舞う」
というのが出てしまいました。
さらに「クラスの人全員と友達になろう」と思って、ひたすらいろいろな人の家に遊びに行ってる時期があって
それは本心から「行きたい」というよりか「転校生に興味を持ってくれている人たちの需要を満たさなければ…」みたいな変な考え方でしたね。
あと、その当時、仲間はずれにしてきたり、無視されたりする同級生がいて
クラスにうまく馴染めていかなかったのですが、そう思われないように両親や先生には気丈に振る舞ったりしてて、とにかくいろいろな場面で本音を隠していた小学生2年生でした。
そして、そのストレスがかなりきつかったみたいで、今まで以上に食べるようになっていき、小学校6年生のころには体重が100kg近くにもなっていました。
本当に真ん丸なぷくぷくな感じで小学生で体重が100kg近くになるって、相当なことがないとならないと思うんですよ(-_-;)
今振り返ってみても「やっぱり小学生時代はものすごく無理をしていたな」という気がします。
幼稚園時代の時の話でもしましたが
子供っぽく振舞うことも苦手で、子供っぽく見えても全て何か計算してやってるような感覚もありましたし
幼いながらに口が物凄い達者で先生や親戚などに
「小学生なのにものすごくしっかりしてるね」って言われることが多くて
「それを言われたからにはもっとちゃんとしなければ…」と感じてより自分の首を絞めていってるような感覚もありましたね。
そのせいか、すごくやんちゃでクラスで浮いているような子に慕われてしまって苦労したこともあって
他の子達はその子を遠慮なく突っぱねていたんですけれども私はどうしても相手を拒絶することができず
むしろ好奇心で積極的に受け入れてしまって、ことある事に振り回されるようになっていました。
本当いろいろあって小学生時代は友達とかの関係で頭をめちゃくちゃ使ってましたね(-_-;)
小学2年生からより強くなっていった「人間観察」と「気遣い」
2年生ぐらいから同級生の性格を見て
「こういうふうに言ったら相手が傷つくかな」とか
「こういうふうに言ってあげた方が相手が喜ぶかな」とか
そういうのをすごく考えてました。
それはもちろん先ほど話したみたいに先生や親戚、両親とかにもそうで
なるべくが喜びそうな言葉を選んで、それを伝えて良い反応が返ってきたら「こうやると喜んでくれるんだ」みたいな分析をしていた感覚があります。
それで「「大人の社交辞令を覚えたような子供らしくない子供」にどんどんなっていって6年生頃になるくらいには心の内は本当に冷めた子供になってました。
空気を読んでわざと子供らしく振る舞う場面もありましたし。積極的に誰かを気にかけるのは相変わらずで
自分が嫌と思っても気づいたら友人や先生の手伝いをしてたり
そんな中、周りの同級生は小学生らしく遊んでいたり、わがままを言ったりしてて
その姿が「すごく羨ましいな」と思っていた時期もありました。
テストに間違った希望を見出した自分
最後にもう1つ言いたいのが
小学生になると「テスト」というものが出てくるじゃないですか?
算数だとか国語だとかいろいろありますよね?
この「テスト」が出てきた時に
「これを勉強して良い点を取れば先生や両親が喜ぶものなんだ」
という喜ばれる基準の「ものさし」のようなことを初めて経験して
他の子達が感じているような捉え方ではなく
「点数でいろいろ判断されるとこういうふうになるんだ」と悪い意味で覚え始めてしまって
自分がやりたいわけではないのに「周りが喜ぶから精一杯やろう」みたいな気持ちになっていって
それがもしかしたら今日に至る「完璧主義」だとか「自分がない」と感じることとか
いろいろな場面において生きづらさを感じてしまう根幹を作った一因なのかなという気がしています。
みなさんは小学生時代こういう経験はありましたでしょうか?
またどんな子供でしたでしょうか?
もしよかったらコメント頂けるとありがたいです
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